HeartBreakerⅡ 12
エピローグ
薫は、リノリウムの床の上をナースステーションで教えられた方向へと歩いていた。
季節は夏の初め。
廊下から見える中庭の植木には、薫が名前を知らない大きな赤い花が咲いており、濃い緑色の葉とのコントラストが綺麗だ。夏の匂いを感じさせる太陽の光がその植木に降り注いでいる。
薫が壁に書いてある案内を確認して廊下を右に曲がると、そこに置かれていた待合用のソファに座っている男と目があった。
「……沖田……」
嫌そうに顔を歪めた薫。沖田も顔をしかめる。
「……なんで君がここにいるの」
「俺は呼ばれたんだよ。お前はなんでいるんだよ」
「僕は関係者なんだからここにいるのは当然だろ」
ふいっと顔を背けた沖田に、薫は冷笑を浴びせた。
「……お前、呼ばれてないんじゃないか?それなのに勝手に来てるとかありえないね」
沖田は舌打ちをして薫を見る。
「呼ばれるも呼ばれないも、僕は昨夜からここにいるんだよ。父親なんだからあたりまえだろ」
沖田の言葉に今度は薫が舌打ちをする。
「……ったく何かの間違いであってほしいよ、父親がお前とか」
「こっちのセリフだよ。おじさんを選べない僕の子がかわいそう――」
沖田がそう言い返しかけた時、扉が開いて看護婦が顔を出した。
「あら、声がすると思ったらもういらしてたんですね。お母さんはちょっとまだ後の処置が残っているんで会えないんですが赤ちゃんは大丈夫ですよ」
肝っ玉母さんという感じの頼りがいの有りそうな看護婦は、微笑みながらそう言うと中へ入るように大きく扉を開けた。
「千鶴は……妻は大丈夫なんですか?」
心配そうに聞く沖田に、看護婦は大きく頷いた。
「ええ、大丈夫ですよ。特に問題もなくスムーズなお産でしたし」
部屋の中にある大人用のベッドは空だった。千鶴の処置が終わったらここに来るのだという。
そしてベッドの横には、腰の高さほどの小さなベッドが二つ……
覗き込む沖田と薫の横で、看護婦はピンクの初着を着ている赤ちゃんを抱き上げた。
「こっちが女の子で妹ちゃんですね。名前は、どれどれ……笑(えみ)ちゃんね。じゃあこっちはお父さんに……」
看護婦は隣にいた沖田に、ピンクの初着を着ている赤ちゃんの方を渡した。
「腕をこうやってください。……そうそう、頭はここにおいて」
沖田はこわごわと、小さな小さなピンクの塊を抱いた。赤ちゃんはさかんに小さな手を動かしている。
「……」
初めて抱く自分の子供に沖田が胸がいっぱいになっていると、その横で今度は看護婦が青い初着を着ている赤ちゃんを抱き上げた。
「はい、じゃあこっちはお兄ちゃんで……あら、こっちはだっこする人もお母さんのお兄ちゃんなんですね。えーっと、この子の名前は……」
看護婦が赤ちゃんの名前を確認しようとベッドを見る。薫は差し出された小さな青い塊を、手を差し出してそっと受け取り、看護婦に言った。
「ゆう、です。優しいと書いて優」
「ああ、そうでした。優くんですね。笑ちゃんと優くん。元気な赤ちゃんですよ」
薫は、自分の腕の中にいる小さな命を、恐る恐る覗き込んだ。
彼は妹とは違い、それほど動いていはいない。見えているのか見えていないのかわからない目をぱっちりと開けて、まるで自分が生まれ落ちた世界はどんなところかと周りを見ているようだ。
薫が、おくるみから出ている手にそっと人差し指で触れると、思いがけずその小さな小さな手はきゅっと薫の指を握り返した。
「……」
その力の強さに、薫の胸の奥で何かが温かく震えほどけていくのを感じる。
「……小さ……」
となりで沖田がつぶやくのが聞こえた。いつもは犬猿の仲の薫も、今回は素直に同意する。
「……うん」
「それにかわいいよ」
すでに親バカな沖田のセリフに、薫はしかし同意した。
「ああ……」
窓から入ってくる初夏の風が、薫と沖田の髪を柔らかくゆらす。
中庭では赤い花が、風にゆらゆらと揺れていた。
終
2014年2月23日発行
掲載誌:HEART BREAKER Ⅱ
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